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 自分が普通の環境にいないと気付いたのはいつだったか。
 あの頃の俺はテレビもエアコンも車もない、いつ崩れてもおかしくない狭い納屋の中で家族三人と、カミサマと一緒に暮らしていた。

 家では贅沢も娯楽も禁止されていて、富を得たらそれらはすべてカミサマに捧げなくてはならない決まりだった。そのため家には貯金もなく、俺は保育園にも通っていなかったし、水道も電気も止まっているのは日常茶飯事だった。当然お菓子なんて買ってもらえなかったし、ジュースも飲んだことはない。一日の食事といえば哀れんだ近所の人がくれるお米と野菜、井戸で汲んだ水だけだ。水は浄水もしない不衛生なものだったせいで、一年中お腹を壊していた記憶がある。

 

「あなたもちゃんと神様にお祈りしなさい」

 

「はい、お母さん」

 

 あばら家に場違いなほど豪華な祭壇には酒もお菓子も捧げられていて、それが我が家での一番の財産だった。そこに生活で得たすべての富を捧げて、毎日お祈りをする。
 今思い返しても異常だった。だって自分たちの生活を犠牲にしてまで崇め、毎日お祈りしているカミサマの正体は、ただの安っぽい虫かごに入れられたどこにでも居るような蝶の幼虫が一匹だったのだから。

 

 後に調べてしったことだが、あれは“常世神”と呼ぶらしい。飛鳥時代にインチキな祈祷師が広めた宗教で、「その虫を祀れば貧しい者は富み、老いたものは若返る」といった誘い文句で人々を騙し、多くの者がそれを信じて財産を失ったという。当然このことは問題視されてその時代に既に常世神の宗教はなくなったはずだった。
が、なぜだか現在まで細々と続いてしまっていたわけだ。

 

 富を得るために富を捨てるなんて、馬鹿馬鹿しいことこの上ない。それでも子供だった俺は親に言われるがままにわけも分からず必死にお祈りをしていた。“お菓子が食べたい”とか“友だちが欲しい”とか、そんなささやかな願いだったと思う。眼の前の祭壇にお菓子があるのに、それを食べたら血が出るほど殴られるのは知っていたから。だからカミサマにお願いするしかなかった。

 俺はカミサマが嫌いだったけど、憎み切ることも出来なかった。誰が決めたどういう決まりなのかは知らないが、常世神は幼体でなくてはならず、蛹になると処分されまた新しいカミサマが用意されるのだ。

 成長を望まれず、狭い籠の中でその一瞬をハリボテの偶像として生きる、いくらでも代わりのきく命。

きっと俺もこんな風に外の世界を知らず、一生このままみすぼらしく生きていくんだと、そう思っていた。

 

 すべてが変わったのは、5歳で交通事故にあったときだ。
町まで宗教勧誘に行く途中で暴走した車に両親と一緒に轢かれた。車は俺たちを轢いたまま建物に突っ込み、両親は多分即死だった。俺は車の下の隙間に入り込んでいたおかげで、左目が潰れて手足も折れて溺死だったけど、なんとか生きていた。

 

 激痛の中、無意識に壊れた虫かごを抱きしめて、カミサマ助けてくださいって必死にお祈りした。あれがカミサマなんかじゃないことは、とうの昔に分かっていたけど、それでも毎日毎日必死にお祈りしたのだから、少しくらいご利益があってもいいじゃないかって。

 

『ーーーーーーーーー』

 

 あのとき、“繋がって”しまった。
 生きたい俺と、自由になりたいカミサマが。

 一つ目というのは、神やそれに近い存在に近づくらしい。片目の神は北欧神話にも日本神話にも存在しているし、一つ目小僧なんかも有名だ。俺は片目を失ったうえ、奇しくも神と崇められる存在を抱いていたことにより、ただの偶像であったはずの神の依代にされてしまったわけである。

 

 目が覚めたとき、俺の世界はまったく変わっていた。

 両親が亡くなったことを聞いた、我が家の本家を名乗る人たちが俺を引き取ってくれることになり、俺は“三九二至楽(みくじしらく)”になった。本家の人は真っ当な神様を祀る真っ当な神社の真っ当な神主で、とてもいい人だった。俺に温かい食事も寝床も新しい服も与えて実の子供のように接してくれて、学校にも通わせてくれた。

 ただ一つ悲しいことがあるとすれば、俺が神社の中に入ることが出来ないことだけ。

 俺の生家はこの神社の大昔にわかれた分家であるが、その原因がまさに常世神である。当時不作を憂いた神主たちが祈祷師に騙され、地主神を捨て常世神を崇めてしまったせいで大飢饉が起こり一族は滅びかけた。本家は心を改め地主神に許しを請う道を選び、分家は後戻りできずそのまま常世神を崇めることを選び、袂を分かった。

 つまり俺は、地主神を裏切った上に未だに裏切り続けるとんでもない背信者の末裔ということだ。おまけに  不慮の結果とはいえ、その問題の神の御巫になってしまっている。そのせいでありとあらゆる神様に嫌われて、本家どころか全国どこの神社に入ることも許されていない汚れた存在なのだ。

 

「僕はまるで、汚くみすぼらしくみっともなく地面を這う幼虫みたいだ。一生そうやって生きて、死んでいく。死んでからも一生そうだ」

 

 一生、いや、死んでもカミサマと一つになって俺は一生誰にも許されない存在になるんだと理解して、絶望した。こんなことならあのときに潔く死んでしまえばよかった。
 本気でそんな後悔をして、消えてなくなってしまいたかった。

 

 それでも神主であるお義父さんは、俺を見捨てなかった。むしろ俺のために境内の住居とは別に敷地外に家を借りて、幼い頃ころはそこで一緒に生活してくれた。神に引きずられ現世と常世の狭間を彷徨う俺を現世に引き止めるために、左手の中指にお守りの紐を結んでくれたのもお義父さんだ。

 

「君は幼虫のままじゃなくて、蝶のようにいつか成長して殻を破り、立派で素敵な大人になるんだよ」

 

 未来なんて誰にも分からないのに、あまりに根拠のない慰めの言葉だった。けれど俺が絶望するたびに、何度だって優しく抱きしめてそう言ってくれた。
 

 だから、信じることにした。
 そうあれるように努力しようと思った。

 

 そうやって大人なっていくにつれて、時々小さい子供のままの俺の姿をしたカミサマが可哀想になる。

 

「俺は君とは違う」

 

 それでも自分の中に線を引いて、これ以上決して飲み込まれないように。

 

「俺の半分は、もう君にあげるよ。でも俺は君にはならない。なれない。ごめんね」

 

 身勝手に望まれて生まれて、必要ない汚れた存在だと捨てられたカミサマ。

 

『ーーーーーーー』

 悲しそうに俺に手を伸ばす彼の手は取らず、髪に紐を結んであげる。

 

「うん、よく似合ってるよ」

 

 蝶が飛ぶように結ばれた紐は、そうなれるようにと込められたお守り。
 俺も彼も、いつかこの狭い世界から飛び立ち自由になれますようにと、そう未来に願っている。

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